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第3回会議の議事録(中)

 

 今年3月15日に開催しました第3回目の「町本会」の議事録の(中)です。
『書店ガール』の創作秘話から、個々人の読書論まで。
「本を読むとはどういうことなのかを、次の世代に伝えられなかったからなんじゃないかな」という篠田さんの言葉が心に残ります。

 

 

島田

碧野さんは『き・まま』という地域雑誌をやっているんですよね。

 

碧野

ええ、元編集の仲間5人でやっています。だいたい吉祥寺から立川までの本屋に営業して置いていただいているんですけど、国立はすごい敷居が高かったんです。
なぜかというと、小金井在住のスタッフがやっているので、多摩地区の雑誌ではあるけど、小金井の情報がどうしても多くなる。国立の人からしたら小金井なんてバカにしてるんじゃないかと(笑)。東西書店はおしゃれな本も多いから、そんなノリで置いてくれるかもしれない。増田書店さんはどうかなってビクビクしていたんですが、結果的に両方ともすごく売っていただいています。こちらが思っていた以上に、国立という街は度量が広いなあ、と関心しています。
島田さんの言うように増田書店さんのようなちゃんとアカデミズムを踏襲した、地域の知識人を集めるような本屋は地方でも少なくなっています。海文堂もそうですけど、やっぱり文化度の高い町には老舗書店というものがあったのに、いまは軒並み苦戦している状況のなか、増田書店さんがみすず・岩波を増やさなきゃ! と仰っているのを聞いて私はすごくびっくりしています。増田書店が昔のままの姿勢を保ち続けていられるのはなぜなのか、当事者としてはその理由をどう思われますか?

 

篠田

みすず・岩波というか、そういう信仰みたいなものはないんですけど。先程、ぼくは増田書店に通い始めてからはそんなに長くないとお話ししたんですけど、やっぱり国立にずっと住んでいて、増田書店に育てられたという感じがあるので、それを返したいというか。基本的に受けたものは守る。ぼくが勝手に判断して消していいものじゃないという認識があります。
みすず・岩波も棚が変わってきてはいるものの、あそこに行くのが楽しみだといってくださるお客さんもいて。個人的にはみすず・岩波の本に思い入れがあるとか、すべて素晴らしいとかいう風には思ってないんですけど。なんていうんですかね。海文堂さんは99年ですけど、増田書店も66年というそれなりの年数をやってきていて、やっぱり勝手にやめていいものではない。勝手になくしていいものではないという意識がありますね。それを共有できているスタッフが1~2人はいるし、それと店長もまだいるので。お客さんと話したりするとどうしても、ごっそり削ってその人たちに寂しい思いをさせるのはあんまりいいことではないかなと。

 

笈入

増田書店が育ててくれたというのは、もうちょっと細かくいうと、置いてある本の並びなんですかね?

 

篠田

うーん、並びなんですかね。ぼくはそんなに本を読むほうではなかったですけど、たまに探す本があった時には増田書店にさえ行けばよかった。
静岡にいた時にもう少し本を読むようになって、じゃあすぐに見つかるかといえば、それはあんまりなかったんですね。面積的に考えて増田書店にどんな本でもあるわけではなかったはずなのに、自分の欲しい本はあった。ずっと自分が選んで買っていると思っていたんですけど、見つからないってことを経験すると、それはどこにでもある本ではなかったんだというのを、あとから知る。まあ、導かれたっていうほど別に恩は感じてないですけど。

 

笈入

そこまでではないっていう(笑)。本屋はあんまり押し付けがましくてもね。

 

島田

いやあ、感動するっていうか。なんかいい話聞いたなあ。

 

笈入

勝手になくしちゃいけないものがある。目に見えない何かこう、受け継がれてきたもの? それを簡単に途切れさせちゃいけないんだ!っていうのをハッキリ聞いたの、すごい久しぶりだなあと思って。

 

島田

ぼくも久しぶりに聞いたなあ。

 

笈入

いや、司会なんだから感心ばかりしてないでよ。

 

島田

国立の人は国立愛が強いんですかね。そういう感じはありますよね。

 

篠田

他の町と比較したことはないんですけど、やっぱり国立関係の本があると売れたりするし、国立に住んでいる人は国立に愛着のある人が多いような感じはありますね。

 

碧野

私は小金井在住ですけど、小金井の住人よりも、やっぱり国立の人たちは町にプライドを持っている感じがします。だから地元のお店を大事にしたいっていう意識も強いんじゃないかなあっていうのは、すごく思うんですよ。小金井や国分寺に増田書店があったら成立するかな。
国分寺も本屋がどんどんなくなって、駅ビルの紀伊国屋書店さんと、あと三石堂書店さんがありますけど、まあそれくらいで。三成堂書店という大きな本屋がなくなっちゃって、もう紀伊国屋書店さんがあればいいとみんな思っちゃってますよね。小金井にもくまざわ書店さんや啓文堂書店さんが中心になって、それはそれでいい本屋さんなんですけど、やっぱり国立は違いますよね。ナショナルチェーンが入り込んでない。

 

篠田

それがなんでなのかはよく分からないんですけど。ずっとナショナルチェーンに無視されてるだけかもしれないです(笑)。

 

島田

それだけの広さのスペースがない、とか?

 

笈入

国立には確か景観条例とかがあるんですよね。だから、高いビルが建てられないとか?


碧野

駅ビルもありませんしね。だけど、それだけじゃないと思います。200坪300坪でも、勝算があればナショナルチェーンは出店しますしね。

 

島田

碧野さんの代表作『書店ガール』という小説は、吉祥寺の大きな書店が舞台なんですけど、老舗書店がなくなって新たな大きな書店に転職して、具体的なところはかなり具体的で。吉祥寺というのはなんかまた違いますよね

 

碧野

最初吉祥寺を舞台にしようと思ったのは、1千万の赤字を解消して本屋を立て直すという話だったので、ある程度都会じゃないとありえないだろうと思ったんです。人が多くないと、それだけの売り上げが立てられませんから。
個人的に馴染みがあったのは、実は当時住んでいた新宿とか高田馬場の方で、実際の店の作りは高田馬場の芳林堂を参考にしています。だけど、高田馬場や新宿では、個人の頑張りが入り込む余地が少ないような気がしたんです。その点、吉祥寺はまだ牧歌的なイメージがありました。個人商店も多いし、ハモニカ横丁とかもあるし。
最初にこれを書いたのは6~7年前のことで、まだジュンク堂の影もかたちもなく、大きい店といえばリブロか駅地下の啓文堂か、という感じでしたし。それで吉祥寺を舞台にして、ラストで主人公が千坪超の大型書店にスカウトされる、って書いたら、その後、実際にジュンク堂が来てしまった(笑)。リアルがフィクションを追いかけている感じ。
実際この数年で吉祥寺もどんどん都会化されているし、正直ドラマの作り手としてはやりにくいところがあります。成り行きで、主人公を大型書店に勤務させることになってしまったし。個人的には、300坪くらいまでの本屋の方が好きだし、ドラマも作りやすいと思っているのですけどね。

 

島田

そういうものですか。

 

碧野

人によって違うと思いますけど、私的にはそんな感じ。
ところで、笈入さんの往来堂書店さんは小さい店ですけど、すごく個性が強い。そうした店は、たとえば小金井でも成り立つのかというのを伺いたいんですが。

 

笈入

小さい本屋のほうが、あちこちで成り立つ可能性は高いですよね。今日お話ししていても思うのは、お客さんとの目に見えない関係ですよね。それが大事なんだと。別に岩波がなきゃいけないとかじゃなくて、それは町によっていろいろでいいんです。小金井だろうが千駄木だろうが、経営指標的には家賃の水準とか、世帯数の話とかがあって、方程式の変数はいろいろありますから。損益分岐点というのは計算で出てくると思いますけど、小さい本屋のほうができると思います。目に見えない何かを取り結ぶ能力があればの話ですけど。
往来堂は品揃えに定評やこだわりがあるって今朝も新聞で書かれていたんですが、つまりそれは本にこだわるというよりは、お客さんとの関係をどこまでも求めるということです。それと同じことですが、本を選ぶ選ばない問題というのもあって。
セレクトショップは町の本屋とはいえないんじゃないかとかいわれるんですけど、店をやっている側からすると、その議論はあんまり意味がなくて。お客さんがいて、そこに置く本が決まるんだと。それはお客さんを見たうえで選ぶ。選ばないで本屋なんかできるわけないので。選ぶなというのは死ねと言うのと同じで。

 

碧野

小さい本屋はみんな、ある意味セレクトショップですよね。だって選ばないと、来た本をそのまま全部置けるわけじゃないし。だけど、往来堂さんみたいにやれるかというのは、その町のお客さんだけでなく、店をやる人の力量にも掛かっている気がします。

 

島田

いま、いろんなところで次の一手をどう打っていくかという。この町本会もそうですけど、いろんなところでイベントがあって話されているわけですが、本屋さんが全力でやっても苦しいというこの状況は、どういう風に思いますかね。

 

篠田

本を読まなきゃいけないということではないと思うんですけど。なんで本なのかとか、本を読むとはどういうことなのかを、次の世代に伝えられなかったからなんじゃないかなと思います。なんで本を読むのかということを、雑誌などに書かれているのをあまり見かけたことがないですし。生きていく時に本が一体何をもたらしてくれるのか、あまり聞いたことがない。
すごくこう、みなさん切実に本を守りたいという感じは伝わってくるんですけど、なんでこんなに守りたいのかっていう、そこじゃないですかね。
たとえば、レコードを聴いてすばらしいと思って、これすごいいいんだよ! っていっても、相手にはわからない。大学時代、お酒を飲みながらああでこうでって長々話して、やっと一枚のレコードを、なるほどコイツはそう聴いてるんだ。聴いてみたら結構いいかもねっていってもらえるのであって、ただただすばらしいといったところで、それはたぶん残らないんだと、ぼくは思うんですけど。

 

島田

あの、ぼくがそれにプラスしていいたいのは、本を読むって実はそんなに楽しくないというか。結構大変なんですよ、映画とか音楽とかと比べると。
映画って、2時間とにかく眠らずにいれば観たことになるわけでしょう。それに対してあそこの場面がよかったとかいえるけど、本は2時間寝ちゃったら本当に進まないですからね。そりゃ、本を読んだら楽しいおもしろいっていう一面はありますよ。でもぼくの個人的なものからすると、大変だったという記憶のほうがやっぱりあって。大学の時にみすずとか岩波とか薦められて。まあなんでもいいですよ。ラカンとかも買うわけですよ。ね? 5000円も出したり、古本を探したり大変なんですけど。
そういうものを読んでみて、あとからいいなあとか、良かったなあとか、なんか頭良くなったような気がするなあとか。世の中見えるような、同級生より少し見えてる感っていうか。でもそれってぼくは結構、本質のような気がしていて。本のおもしろさを伝える時によく寝ずに読んじゃいました! みたいなことをいいますけど。読んだことないですよぼくは。寝ずに最初から最後までなんて。

 

笈入

え、そういう種類の本はあるでしょ。

 

島田

まあ、ありますけど。

 

碧野

ミステリーとか読まないんですか?

 

島田

読みますけど。眠りますよぼくは。

 

笈入

気付いたら朝だったとか。

 

島田

絶対にないです。 賭けてもいいですよ(笑)。