『本屋会議(仮)』ができるまで2

 

本屋会議ができるまで2

 

町の本屋さんがあぶない。

職業柄、毎日のようにそうした言葉に出会う。実際、書店で働く人たちからも「きつい」という話をよく聞く。
昨年47都道府県の書店を取材し、刊行した『本屋図鑑』の取材の過程においても、実に多くの本屋さんが「大変だ」「先が見えない」と話されていた。

ぼくは書店で働いたことがないから、その「大変さ」「きつさ」がわからない。
さまざまなメディアをとおして、その背景や理由を知ることはできるが、それはどこか、ぼくの実感とは違う。
ぼくのまわりには本屋さんに行く人が多いし、若い人たちと話していると、彼らはぼくが大学生のころよりよっぽど本を読んでいるのではないかと思う。

本屋さんという場所自体も、ぼくが大学生だった15年前から比べるとずいぶん変わった。
簡単にいうと、華やかになり、おもしろくなった。
全国各地の本屋さんでは毎週末のようにイベントがあり、その店ならではの棚やフェアも増えた。むかしだったら出会うことのできなかったような本にも、毎日のように出会えるようになった。

けれど、繰り返しになるが、本屋さんはこれまでにないほど厳しいという。もしかしたら、10年後には町から本屋さんがなくなっているかもしれない、とまでいう人もいる。
たしかに、売上や書店数などの数字をグラフで見ると、それらの警句がただの脅かしでないことがよくわかる。事実、ぼくの住む地域でも1軒1軒と本屋さんが店をたたんでいる。

ただ、個人的には、たとえばあるひとつの事実によって、厳然たるいくつかの数字によって、なにかをわかったような態度はとりたくない。
だから、ぼくはふたたび全国の本屋さんに足を運び、これまで以上に本屋さんの話に耳を澄ませ、本屋さんの現状と、今後の可能性について、いろんな人から話を聞いてみたいと思う。
それは、ひとりの町の住人として、自分の町がどうであってほしいかを考える時間にもなるはずだ。


ぼくは自分の住む町には本屋さんがあってほしい。仕事の帰りに寄れる場所として、我が家のように居心地のいい場所として、町の中心に本屋さんがあることがぼくの切実な願いだ。
ぼくは出版業界に詳しいライターではないし、なにかに通じている社会学者でもない。
町に住むひとりの人間として、また本屋さんに通うひとりのお客さんとして、単純に、「町には本屋さんが必要です」といいたいのだ。

(夏葉社 島田潤一郎)